世界デビュー

1961年12月10日、ブライアン・エプスタインがマネージャーになることが決まる。
1962年1月1日、デッカ・レコードのオーディションを受けるが不合格となる。
この頃、ピートがステージを休むことが数回あり、そんな時はリンゴが代役としてドラムスを叩いていた。
1962年4月10日、スチュアート・サトクリフが脳内出血により死去。
1962年6月、パーロフォン・レーベルとレコーディング契約を結ぶ。
1962年8月15日、ピート・ベストを解雇。[19]リンゴ・スタービートルズに加入。
1962年10月5日、レコードデビュー。