ショーン・バーグマン

南イリノイ大学から1991年にデトロイト・タイガースに入団。その後サンディエゴ・パドレスヒューストン・アストロズアトランタ・ブレーブス、再びアストロズミネソタ・ツインズを経て2000年オフにロサンゼルス・ドジャースにトレード。
2001年シーズンに入り、メジャー昇格まであと少しという時期に、ドジャース副社長であり、日本の大阪近鉄バファローズスペシャルアドバイザーであるトミー・ラソーダ氏から日本行きを打診(半ば命令?)され、来日した。
当時の近鉄は投手陣が壊滅状態にあり、3点取られたら打線が5点を取り返す野球で何とか上位に踏みとどまっていた。そんな中、バーグマンには右のエースとして大きな期待がかけられた。バーグマンはこれに応え、長身(193cm)から投げ下ろす威力のあるストレートでたちまち右のエースに成長。10勝をあげ、特にオリックス戦では5勝をあげ、オリックスキラーとして活躍。チームの優勝に貢献した。
2002年はチームの開幕投手に指名された。だが、元々球種のバリエーションが少ない投手で、他球団に研究されたのもあり、わずか4勝止まり。得意だったオリックスにも攻略されるようになり、期待を裏切る成績だった。
2001年の同時期に来日したパウエルは若いことと、いわゆる「伸びしろ」があることから2003年以降もチームに残留したが、バーグマンは2002年シーズン限りで解雇となった。
解雇後は米球界に復帰し、2003年にはフロリダ・マーリンズ傘下のAAAチームに、2004年にはボルチモア・オリオールズ傘下のAAAチームに所属し、シーズンオフにフリーエージェントとなるが獲得球団はなく、そのまま引退している。