├─≠ョ─ヵラスとジャレッド・フェルナンデス

├─≠ョ─ヵラス 投手記録
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス 1994年、ボストン・レッドソックスに入団。その後はシンシナティ・レッズヒューストン・アストロズミルウォーキー・ブルワーズに所属。
2007年に広島東洋カープに入団。日本球界では珍しい本格的ナックルボーラーで、投球の大半(75%以上ともいわれる)においてナックルボールを使用する「ナックルの伝道師」。マーティ・ブラウン監督は主に先発投手としての起用を考えていたが、ナックルボールは肩の疲労が少ない球種であるため、中1日でのロングリリーフも可能で、投手陣が疲弊しやすいカープにとっては貴重な存在であった。
2007年4月8日の東京ヤクルトスワローズ戦で来日初登板初先発を果たすが、5回途中10失点でKO。デビュー戦は乱調に終わった。しかし、4月28日の阪神タイガース戦ではKOされた長谷川昌幸の後を投げ4回無失点、日本球界での初勝利を挙げた。5月4日の阪神戦でも先発し2勝目をあげたが、この試合で本塁ベースカバーに入ろうとした際にふくらはぎを負傷した。
復帰戦は、5月26日セ・パ交流戦での対福岡ソフトバンクホークス戦。3勝目はならなかったが、下記の通り来日前から憧れていた王貞治監督の前で好投した。その後年間を通じ一軍で投げたものの、防御率6点台の成績に終わり、この年限りで退団となった。ナックルボールは100km/h前後しか球速が出ない上、ストレートの球速も110km/h台後半とかなり遅い。来日した際には各球団から盗塁しやすいと分析され、2007年のオープン戦で東北楽天ゴールデンイーグルス相手に1試合6盗塁されたこともある。しかし本人は「牽制は得意だよ! 去年(2006年)は17回牽制でアウトにした」と述べており、実際に初戦の東京ヤクルトスワローズ戦では青木宣親を、2度目の登板となった横浜ベイスターズ戦では仁志敏久をそれぞれ牽制で刺している。
ナックルは不規則な変化をするため、捕手も捕球が難しく、メジャーとマイナーでの通算暴投は122もある。しかし2007年は30試合、92 1/3回を投げて暴投は0だった。
ナックルボールはボールの指へのかかり具合が非常に重要であるため、気温の低い日や雨の日、それに風は苦手な様である。2007年6月14日の千葉ロッテマリーンズ戦では千葉マリンスタジアム特有の強風に翻弄され6失点を献上し1イニングで降板した。福岡ドームは無風多湿で投げやすいらしく、復帰した5月26日のソフトバンク戦もヤフードームでの試合だった。本拠地の広島市民球場横浜スタジアムで安定し、風の強いはずの阪神甲子園球場のマウンドでも好成績をマークしている一方、残りのセリーグ3本拠地ではいずれも防御率二桁と打ち込まれている。