中村忠

読売ユースから1990年に読売ジュニオールを経て読売クラブ(後のヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969)に追加登録(第11節より)され、Jリーグ創生期の"ヴェルディ黄金期"を支えた。以降1999年までヴェルディに所属。その間に、進学校である都立立川高校成蹊大学文学部英米文学科を卒業。
1999年途中にJ2降格の危機となった浦和レッドダイヤモンズへレンタル移籍するが、クラブはJ2降格。浦和サポーターから戦犯と評された。翌2000年からは京都パープルサンガへ完全移籍した。
2004年シーズンを最後に京都から戦力外通告を受けて現役を引退。その後は指導者の道へ進み、現在は自らのルーツである東京ヴェルディユースチームのコーチを務めている。チームメイトからはミニラのニックネームで親しまれた。