トンキョンkarasuとアーネスト・ラザフォード

トンキョンkarasu 100ドル紙幣
トンキョンkarasu









トンキョンkarasu 1871年 - ネルソン近くのブライトウォーターで生まれる。父はスコットランド・パース出身の農夫、母はイングランドエセックス出身。
1882年 - ペロラス・サウンドに引越し、中学校に通う。中学校で後に妻となるメアリ・ニュートンと出会う。
1889年 - クライストチャーチカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)へ進学。在学中に電波検知器を作る。また、鉄の磁化に関する論文で理学の学士号を取る。
1895年 - ニュージーランド奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の研究員となる。トムソンの指導のもと気体の電気伝導の研究を始める。
1898年 - ウランから二種類の放射線α線β線)が出ていることを発見。この年にメアリ・ニュートンと結婚。同年、カナダ・モントリオールにあるマギル大学の教授となる。
1899年 - 放射線のアルミ箔の透過を調べ、α線β線を分離。
1900年 - ポール・ヴィラールの発見した「透過性が高く電荷を持たない放射線」が電磁波であることを示す。ソディと共同でラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を始め、放射性元素が互いに移り変わると考えるようになる。「半減期」の概念を作る。これは後に岩石の年代測定に用いられるようになる。
1902年 - 元素が放射線を放出すると別の元素に変わるという放射性元素変換説を提唱。
1903年 - ロンドン王立協会会員となる。上記の「透過性が高く電荷を持たない放射線」をγ線と名付ける。
1907年 - マンチェスター大学教授となる。この年、ガイガーと共同でα粒子の計数に成功。これは後にガイガー・ミュラー計数管として実用化される。
1908年 - ボルトウッドと共同で放射性元素の変換系列を調べて変換が鉛で終わることを発見し、またその速度を求めた。この年、α線をガラス管に集め、放電スペクトルを調べることでα線がヘリウム原子核であることを発見。また、「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞。
1911年 - ガイガー、マースデンとともにα線の散乱実験を行い、原子核を発見。この実験結果に基づいてラザフォードの原子模型を発表。
1914年 - ナイトに叙せられ、サー・アーネストとなる。
1917年 - ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の所長となる。
1919年 - α線を窒素原子に衝突させ、原子核の人工変換に成功。
1920年 - 中性子の存在を予言。中性子は教え子のチャドウィックが1932年に発見し、それによりノーベル物理学賞を受賞している。また重水素の存在も予言し、研究を行なった。
1925年 - ロンドン王立協会会長となる。
1931年 - 男爵に叙せられ、ネルソン卿となる。
1937年 - ロンドンで死去。66歳。
1997年 - 原子番号104の元素がラザホージウム (Rutherfordium) と名づけられる。