├─≠ョ─ヵラスとジーン・マーチン

├─≠ョ─ヵラス 大洋
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス 1965年ドラフト3位でワシントン・セネタースに入団。1968年メジャーに昇格し、主に代打として9試合に出場。1974年、中日に入団。同年35本塁打・87打点をマークし、チームの20年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。その後も安定した成績を残し、1976年にはともにリーグ2位の40本塁打・104打点をマーク。固め打ちも得意で、1試合3本塁打を通算3度記録した他、1976年には1試合2本塁打以上を年間10度記録。これは王貞治ランディ・バースと並ぶ日本タイ記録でもある。1979年大洋に移り、同年限りで退団。
なお、トレードマークであった禿頭は、ベトナム戦争に参加した際、鉄兜を長く被っていたためそうなったと、本人は語っていた。
大洋移籍後、薄毛に悩んでいた山下大輔に攻守交代時のヘルメットから帽子への早替えの技を教えたのが彼である。