ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00とマット・マートン

ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 まじめな性格
ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00









ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 2003年のドラフト1巡目で名門ジョージア工科大学からボストン・レッドソックスに入団。
2004年に4チームが絡むトレードにより、ノマー・ガルシアパーラと共にシカゴ・カブスへ移籍した。レッドソックスファンから「ノマーを放出したのもかなり痛いが、マートンを放出したのも痛い」と言われるほど、当時から期待の高い選手だった。
2005年7月8日の対フロリダ・マーリンズ戦でメジャーリーグデビューを果たすと、左投手に打率.380と結果を残し、年間で打率.321、7本塁打という成績を残した。デビュー戦では、のちに阪神でチームメイトとなるランディ・メッセンジャーマーリンズの2番手投手として登板し、2打席対戦している(結果は右犠飛と右二塁打)。
2006年は左翼手として開幕スタメンを勝ち取り、初打席で本塁打を放つなど3安打と幸先の良いスタートを切る。7月以降の打率は.330と好調を維持し、8月3日には4打席4安打(4二塁打)5打点の1試合最多二塁打記録を樹立。この年はほぼメジャーに定着し、144試合出場でチームトップの打率.297、13本塁打、62打点の成績を残した。カブスでは人気選手の一人となり、スタジアム内にはマートンの特徴である赤毛の髪を真似たカツラを付けているファンが多く現れた。
2007年にアルフォンソ・ソリアーノ、クリフ・フロイド両外野手がカブスにFA移籍。チーム方針が長打力アップだったため、巧打者タイプのマートンはレギュラー争いに敗れ、打率.281と安定していながらも得点圏打率.186とチャンスに弱く、次第にメジャーでの出場機会を失ってマイナー落ちも経験。94試合の出場にとどまった。3Aでは打率.331, 8本塁打だった。
2008年はメジャーで結果を残すことができず、マイナーリーグで過ごす日々が続き、7月にリッチ・ハーデンとチャド・ゴダーンとのトレードで他3選手と共にオークランド・アスレチックスへ移籍したが、アスレチックスでも9試合で30打数3安打で本塁打0と結果を残すことができなかった。結局、この年の多くを3Aで過ごし、86試合で打率.290、2本塁打、28打点だった。
2009年2月4日にコーリー・ウィンバーリーとのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。この年はメジャー26試合出場で打率.250, 本塁打1本だった。3Aでは海抜1839mにある本拠地の利点を生かして97試合で打率.324, 12本塁打、79打点と活躍したが、他の外野手がメジャーで好調だったため、機会に恵まれずこの年はマイナーでシーズンを終えた。
阪神時代 [編集]
同年オフ、外野手の強化を求めていた阪神が、駐米スカウトアンディ・シーツの「マートンの確実性のある打撃スタイルは日本向き」という強い推薦もあって獲得に動き、12月7日にロッキーズから保有権が譲渡された[1]。その後、12月12日に阪神入団が発表された。契約金5,000万円・年俸1億円の2年契約で、2年目は球団側に選択権がある。背番号は9に決まった。マートンの入団と相前後して、チームのレギュラー中堅手で1番打者だった赤星憲広が怪我で電撃的に引退したため、マートンは代わりの「1番・中堅」として期待をかけられた[2]。
入団1年目の2010年は、それまで中堅手の経験がほとんどなかった[3]こともあって春季キャンプでは評価が低く、広澤克実金村義明などの野球評論家から酷評された[4][5][6]。しかし、オープン戦では鳥谷敬に次いでチーム2位の打率.352、先頭打者本塁打2本の成績でシーズンを迎え、開幕後も5試合連続安打、15試合連続出塁を記録。その後もコンスタントに安打を放ち続けた。3月30日の対広島戦では来日1号本塁打を場外へ放った。このボールは、球場の外をジョギングしていた男性に拾われて宿舎に届けられた[7]。阪神の来日1年目外国人選手としては50年ぶりのオールスターに監督選抜で出場した。
後半戦は前半戦を挟んで5試合安打が出なかったが、シーズンを通して2試合以上安打が出なかったのはこの1回限りで、以降は前半戦と変わらず安打を放っていき、9月5日の対広島戦の8回表1死2塁から、この日3本目の安打となる中前適時打を打ち、来日1年目の外国人史上最多となるシーズン175安打(それまでは1997年にフィル・クラークが記録した174安打)を記録した[8]。そして9月16日の対横浜戦の8回に、加賀繁からこの試合3安打目となる右前打を打ち、藤村富美男の球団記録に並ぶ191安打を記録した[9]。9月18日には3安打を放ち、194安打と球団記録を更新すると共にシーズン安打歴代5位の記録となり、マルチ安打も60度目と球団新記録となっている[10]。そして9月19日の巨人戦で球団新記録となる22回目の猛打賞を記録した[11]。9月23日の対中日戦第4打席で吉見一起からシーズン200安打目となるソロホームランを打った。そして、9月28日の対巨人戦第3打席で内海哲也からこの日2本目となる205安打目のヒットを放ち、アレックス・ラミレスを抜くセ・リーグシーズン最多安打記録を更新し、この日プロ野球史上3人目となるシーズン200安打と100得点も達成した[12]。29歳の誕生日である10月3日の対広島戦の第4打席でレフトへヒットを打ち、イチローに並ぶ日本記録の210安打を達成[13]すると、10月5日の対ヤクルト戦第2打席で中澤雅人からセンター前ヒットを打って日本プロ野球新記録のシーズン211安打を達成し、この試合で24回目の猛打賞を記録した[14]。最終的にリーグ3位の打率.349、両リーグ通じて最多の214安打を放ち[15]、最多安打のタイトルを獲得した。『週刊ベースボール』誌上の読者投票「今年最も活躍した外国人選手」では、77%の得票で1位となった。また、2010年度のベストナインにも選ばれている。
2011年は年俸2億円+出来高で契約を更新した。